Chapter15: 『 乖吏の過去 』


「ご苦労様でした。先生。」
「あぁ、ごくろうさま。」

冬季間近なこの季節は、日没が早い。時間は七時15分前と言った所なのだが、 既に月が無理なく見える程に、辺りは薄暗くなっていた。閉院時間となり、宍道は、次々と会釈して帰って行く 看護婦たちに笑顔を返しながら、執務室に戻り、大きく溜息を吐いた。帰宅の準備をすべく、書類をカバンに詰めるが、 やはり何時もの彼らしくなく、その表情には深い陰りと披露が浮き出ている。

「。。。。。。はぁ。。。。どうしようかな。」

ぽそりと、誰にともなく一人嘆いたのと同時に、控えめなノックが静寂しきった室内に響く。急患かと思いつつドアを開けた宍道は、 そこに居た人物に大きく目を見開いた。

「。。。。。。雪菜ちゃん。。。」

宍道の声に、俯き加減に伏せていた顔をゆっくりとあげて、雪菜は不安げに揺れる瞳で彼を見上げた。
かわいい。。。。かわいすぎる。。。。というより悩殺的だ。
非常に切羽詰っている事は一目で解ったが、どうしても短絡な思考へと走ってしまう宍道は、必至で自分の理性を 押さえ込もうと内心戦っていた。

(あ。。。すみません。帰る所だったんですね。)
「あぁ、そうだけど気にする事ないよ。私に用事だよね?。。。じゃあ車の中で良いかな?送ってあげるから。」

彼が私服である事に気付き慌てて頭を下げた雪菜に笑って返事を返してから、宍道は急いで残りの書類をカバンに詰め込んだ。 普段ならば、此処で遠慮をするのだろうが、この時ばかりは雪菜も只礼を述べただけだった。
その態度が、更に重要な話である事を決定つけているようで。漠然としながらも、その内容に宍道は気がつき始めていた。





「最近は暗くなるのも早いからね〜。あんまり遅くに出歩かない方が良いよ。」

今時の高校生に7時門限などと言えば、間違いなく鼻で笑われそうだが、雪菜は素直に頷いた。実際彼女は帰宅後に出かける事はまずない。 クラブ活動にも入っていない故に、常に帰宅は6時前となるのだ。うら若き青春を駆ける若者とはとても思えない生活習慣である。

「。。。。。。で、用件はなにかな?」

通行の少ない小道路に入った所を見計らって、宍道は訪ねた。 解っていても、聞かずにいられないのは、どこかで、違う事を期待しているのかもしれない。

(あの。。。。文化祭で、何かありましたか?)
「どうして?」
(乖吏が。。。。近頃、学校にも来なくて。。。変って言うか、差し出がましい事だって言うのは解ってます。。。でも、気になって。。。ごめんなさい。)

答えをはぐらかされた事に、気を悪くした物だと思った雪菜は慌てて説明をするが、それは悉く宍道の心中から懸け離れていた。懸命なその姿に愛しむような、それでいて何処か寂しげな眼差しを向けてから、宍道はゆっくりと車を止めた。

「ちょっと出ようか。結構長くなりそうだから。。。。違法駐車は不味いけどね。人も通らないし大丈夫でしょ。」

微弱な笑みを浮べて、そう宍道が促すと、雪菜はこくりと頷いてから車を出る。偶然にも、そこは丁度先ほどまで恭子と話していた公園で、 結局は戻ってきてしまった事に雪菜は思わず苦笑を浮べた。適当な歩道脇に車を止めてから、宍道はベンチに腰を下ろした。雪菜も連れられてその隣に座る。 暫くの沈黙の後、宍道は重々しく口を開いた。

「丁度あの文化祭の日にね、僕らの父さんが。。。。無くなったんだよ。」

途端にはっと顔を上げてから、雪菜は胸元に両手を当てた。自らを落ち着かせようとする時に、彼女が 良く取るしぐさである。あまりにも健気なそのそぶりに、思わず抱き締めたくなる衝動を必至に押えて、宍道は話を続けた。

「僕ら。。。て言っても、乖吏君とは血の繋がりはないんだけどね。僕の母さんはずっと昔に亡くなってね、それから少しして、 父さんは再婚したんだよ。その相手。。。。美尾里さんの息子が乖里君。」

説明される一言一言をしっかりと胸の内にしまい込むように慎重に聞きながら、雪菜はゆっくりと頷いた。それが、全て乖吏の為なのだと 思うと、放つべきでない言葉をも言ってしまいそうで、宍道は態と思考をそらさないようにする。が、これから説明する事が、今まで 以上に衝撃的であろう事は確実だった。かと言って此処では引き返す事もできないだろう。 再び暫く沈黙してから、宍道は覚悟を決めたように口を開いた。

「でも。。。。あの頃、美尾里さん。。。乖吏君のお母さんには結構噂があってね。綺麗な人だから妬みだって父さんは言っていたけれど。。。」

噂?と首をかしげる雪菜。何処か腫れ物に触るように言葉を慎重に選びながら話して行く宍道に、違和感を覚え初めているようだった。

「お金。。。財産が目当てなのだろう。。。とかね。既に父さんは三人目の結婚相手で、前の二度ともご主人は亡くなられているから。。。。保険金目当てで 彼女が。。。。。。。。手を掛けたんだろう。。。。。とか。」

ぎゅっと胸元で握り締めていた雪菜の手が血色が変わる程に強く握り締められて。体が小さく小刻みに震えた。

「美尾里さんは、華やかだから誤解され易いんだよね。。。わが道を行く所もあるけど、そんな人じゃない事は解ってるよ。 父さん、心臓が悪かったから。。。多分その所為だと思うんだけど。。。。亡くなる間際まで美尾里さんが一緒にいたって事で。。。。。。 親戚なんかは。。結構。。。。ね。。。。揉め事になってるんだよ。」

揉め事。。。。程度で片付けられる物ではないが、それでも成るべく言葉を選んで宍道は話す。この状況で、一番微妙な立場に 立っているのは彼かもしれなかった。

「乖吏君は。。。。もう一週間も家に帰ってないんだよ。帰り辛いのも解るけどね。。。」

元々から余り家には帰らない方だったけど。。と内心付け足しながら、宍道は溜息を吐いた。それから、雪菜の様子を確認すべく 視線を向けて。

はっと息を呑んだ。

頬をつたる涙を必至に拭いながら、歯止めが利かないそれを隠すようにして、雪菜は泣いていたから。

「雪菜ちゃん!?」

唐突の出来事に困惑しつつも、とりあえずハンカチを取り出しながら、宍道は彼女の顔を覗き込む。そして、差し出されたそれを、受け取ろうとして顔を上げた 雪菜と視線が会った刹那、心臓が激しく痙攣した。
無数の涙によってしっとりと濡れてる頬と、それに絡みつく滑らかな髪。揺れる瞳からは、透明な雫が止め処なく流れて。見た者全ての心を、 切なく締めつける様な容貌だった。
思わず言葉を失う宍道。いや、言葉所か、息も止まる程に彼は雪菜に見入っていた。 狂おしい程に切ないく、目の前の少女が愛しい。だが、それと同時に、彼女の涙の理由も、解っていた。 誰の為に泣いているのかも、その心が誰を呼んでいるのかも。途端に、激しい衝動が襲い掛かった。 頭から発せられるどんな命令も無視して、体が突き動かされる。雪菜が、僅かに瞳を見開くよりも早く、その小さな躰を引き寄せて。 冷たく濡れたその唇に宍道は口付けていた。





雪菜の思考回路が、ゆっくりと機能し始めたのは数秒後になってからだった。 唇が熱い。息ができない。強く抱き締められた躰はきりきりと痛んで。 麻痺したように上手く動かない思考の欠片で、ようやくキスされているのだと 解った時、雪菜は反射的に渾身の力で宍道を突き飛ばしていた。

な。。。。。なんで。。。。。。。

余りにも勢い良く立ち上がった為に、ぐらついた躰をなんとか支えるが、かたかたと震えは止まらなくて。 悲しいのか、怖いのか、もはや解らないくらいに心は乱雑していた。どうしたら良いのか解らずに 両手で顔を覆うと、不意に宍道が立ち上がる音が聞こえて、雪菜はびくりと体を震わせる。

「。。。。。。。ごめん。。。。」
(あ。。。。。。。)

だが、宍道の足音は近づく事なく、そのまま遠ざかり、その最後の謝罪の声が、 酷く傷ついたように聞こえて、刹那、ずきりと心が痛んだ。それでも、顔を上げる事は雪菜にはできない。

傷つけてしまった。。。。。あんなに優しい人を。。。
私が。。。。でも。。。。でも。。。。。

あの時、どうしても嫌だと思ってしまったのだ。そして、それはきっと変わらない。変われない。どうしたら良いのか解らず、状況を完全に把握する事もできずに、 雪菜はへなへなとその場に座り込んだ。





(。。。。。。。。寒い。。。。)

泣きはらした肌が冷たい夜風に吹かれて、ひりひりと痛むのを感じながら、 雪菜はとぼとぼと歩いていた。どれほどあの後公園にいたのか、解らないが、 永遠に座っている訳にも行かずに、雪菜は両親の眠る墓地までやってきたのだった。 昔から、悩みや迷いがあると、雪菜は良く此処に足を運んだものだった。何も答えてくれる訳ではないが、 それでも、心の中で、全てを打ち明けると、少しだけ頑張れる気がしてくるのだった。

(。。。。。。あれ?)

両親の墓前まで近づいた雪菜は、不意に墓場には酷く不釣合いな真赤なドレスを発見して、 恐る恐る近づいた。相手の反応はない。。。。どうやら眠りこけているようだが。。。墓場で寝るなど尋常ではない。

(。。。。。美尾里さん。。。?)

長い髪に顔は隠れていたが、着ている服はどう考えても彼女の物で、その墓も、彼女がいつもお参りをしている 物であった。更に、その側では、大型犬であるジョニー君がその様子を見守るかの様に大人しく座り込んでいる。慣れ親しんだ人間を見つけて、 駆け寄って来るその巨体をなでてから、雪菜はゆさゆさと美尾里さんの体を揺らした。こんな所で寝ては風邪をひくだろうと思ったのだ。

「う。。。ん。。。。誰よ!!こんな所まで追いかけてこないでちょうだい!!!うっとおしーわね!!」

急にがばりと起き上がった彼女に、雪菜はびくりと後ずさったが、その直後強烈なアルコールの臭いが鼻を突き、彼女が酔っているのだと解った。 一体何があったのか。。。。。だが、こんな状況でメモ帳に何かを書いた所で、彼女がまともにそれを読むとは到底思えない。 雪菜がどうするべきか困惑していると、美尾里さんはやっとその姿に気がついたらしく、ぱちぱちと瞳を見開いた。

「あらぁ〜〜〜?雪菜ちゃん〜〜〜??ふふふ。。。駄目よぉ〜、こんな遅くに外にでちゃぁ〜。。。。」

が、やはり呂律が怪しい。

(あの。。。。美尾里さんこそ。。。。風邪をひきます。。。。)
「ふふふ。。。。。なぁ〜に?心配してくれてるの?可愛い〜〜〜。。。。でも、へーきよ〜。」

明らかに平気ではない酔っ払いぶりにも関わらず、美尾里さんは、墓地を背もたれ代わりにして座り込んでいる。使者への冒涜よりも 何よりも、上品華麗な格好からは余りにも想像のできない態度だが、当の本人はまったく気にする様子もなく、きゃらきゃら笑っていたかと 思うと、突然しんみりと空を見上げた。

「まぁ〜た。。。。。死なれちゃったぁ。。。。」

え。。。?と首を傾げる雪菜。

「。。。。。ったく。。。どいつもこいつも男ってゆーのはなーんでそんなにか弱いのよ!!!!ちょっと車にぶつかったぐらいが何よ!!すこーし火傷したぐらいで、ぽっくり 行っちゃってさ!!!たかが心臓病ぐらい気合でなんとかしなさいよ!!!!」

無理だと思うが。。。。。やはり相当悪酔いしているようだ。

「バカ息子は反抗期だし。。。。もーいや!!!。。。。うっ。。。なんで。。。。私を置いて行くのよぉ〜〜〜!!!うっ。。。おえぇぇーーー!!」
(美尾里さん。。。。)

方向性は間違っている気がしないでもないが、彼女の悲しみは本物だと感じた雪菜は、気持ちが悪くなったのか嗚咽を繰り返す美尾里さんの背中を優しく撫でてやった。

(美尾里さんも、悲しい事があったのね。。。旦那様に先だたれるなんて。。。。)
(。。。。。。。。。あれ?。。。。)

ぴたりと雪菜の手が止まる。
旦那様。。。。お父様。。。息子。。。そこまで考えて、宍道の台詞が鮮やかに蘇った。

「その相手。。。。美尾里さんの息子が乖里君。」

(。。。ええええええええええ!!!!!!!???????)

果てしなく今更な気がしないでもないが、雪菜は心底驚きの声を上げていた。世の中って狭い。。。。これほどまでにそれを 痛感した事はなかった。

(でも、じゃあやっぱり美尾里さんはそんな人じゃなかったのね。)

目の前の彼女は、どう見ても、主人の死を喜んでいるようには思えない。自ら手を掛けたなどとはもっての他だ。 その事を理解した雪菜は、ほっと胸を撫で下ろすが、直後、再び再び怪訝そうに首をかしげた。

(じゃあ。。。乖吏は。。。どうして?)

乖吏の荒れ方は、父親が死んで悲しいから。。。。。というのは違う気がした。もしかしたら。。。。
もしかしたら、母親を信用してないのかもしれない。。。。
漠然と、雪菜はそう思った。乖吏は、なんとなく、誰も信用していない気がしてならなかったから。人を信じるのは簡単な事ではないけれど、 やはり、血を分けた肉親すらも信用できないのは、悲しい気がした。
少なくとも、雪菜にとっては。

(私。。。。。。私は。。。。。)

瞳を閉じれば、脳裏に浮かぶ乖吏の冷たい視線に、 思わず体が震える。嫌われてしまうかもしれない。雪菜が、乖吏の行動に文句をつけた事は今まで一度たりともなかった。 その資格があるとも思っていない。惚れた弱みだと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、 乖吏に嫌われる事は、雪菜にとって世界の終わりを意味するのも同然なのだ。

(。。。。全部上手くは。。。。いかないよね。)

ぐるぐると何処まで考えてもきっと正しい答えなんて見つからないだろうけれど、 沢山ある願いで、一つだけ選ぶのだとしたら、思う事はきっと一つだけだから。

(乖吏の、幸せの、笑顔が見たい。)

どうすればそれを得られるのかは解らないけれど、今の彼はどうしても投げやりに思えて。自分のエゴなのかもしれないけれど、 雪菜は乖吏を探したいと思った。探し出して、確かめたい。

(ジョニー君、美尾里さんを宜しくね。)

自分では、今の美尾里さんを動かす事は無理だ。タクシーを呼ぶにも、彼女は見たとおりにベロンベロンに酔っ払っており、雪菜は住所を知っている訳でもない。 とりあえず、寒々しいその格好で風邪を引かないようにと、雪菜は自らのコートをかけてやった。そして、 解っているのか解っていないのか、わほわほと尻尾を振るジョニーを軽く撫でて、ゆっくりと立ち上がる。
恭子の様に、自分のする事に、自信は持てないけれど、少しは信じてみようと思った。

この気持ちを。

この決意を。


お兄ちゃん。。。ついに手を出してしまったか。。流石は血が繋がってなくとも兄弟。(爆)

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