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畏怖した様な事は何も起こらず、水姫祭は順調に進んでいた。殆どの過程を滞りなく終え、残るは後一つ。騎士が女神から祝福の口付けを受ける場面である。 「汝勇敢なる者、英知の賢者、強豪なる勇者。汝に永劫の祝福を・・・。」 跪いた俺の肩に手をそえ、ラメアがゆっくりと身を屈めた。そのまま唇が重なり、俺は内心ほっと溜息を吐いた。終わった。神殿の鐘が終わりを告げ、観客が拍手喝采する。 ドーン! 祝いの花火が轟音を立てて打ち上げられる。
目を覆いたくなる程鮮烈な、赤い水飛沫。 「っ!?」 誰一人とてその瞬間悲鳴をあげる者はいなかった。できなかったのだ。 ドーンッ!! 再び花火が打ち上げられる。それと同時に、二つ目の血飛沫があがった。より壇上に近い、俺の目の下で。バラバラと砕かれた肉片が宙を舞う。 「い、いやあああああっ!!!」 ラメアの悲鳴を背に、俺は反射的に壇上から飛び降りた。奇襲が起きた!?何故だ・・・周辺の警備も、街中の警備も厳重に行ってきた。不審者の姿は、一切見止められていない。 「動くなっ!!」 他人を押し退け踏み倒しながら逃げようとする民を牽制するように一喝し、一際血潮を浴びている男を背後から地に押し倒した。 「ちっ!」 忌々しげに振り返った男は、どう見ても普通の人間だった。平凡な茶髪に淀んだ灰色の瞳。 「 」 刹那、聞き取れない呪詛のような言葉を零し、男が唇を吊り上げた。ニタリと薄ら寒さを覚える人外の嘲笑。そして次の瞬間男の顔が弾けた。皮膚が膨張し、骨が砕け散った体内の中から漆黒の甲冑が膨れ上がる。 「す、スコーピオンだっ!!」 ドーンッ!! 三度目の花火が上がる。見張り塔は既に占領されているのか。それと同時に人ごみのいたる所から絶望的に思える程の黒い甲冑が姿を現した。 これほどのスコーピオンが潜り込んでいたなんて。 「蟲の匂いがする。」 走馬灯のようにルウェイの言葉が思い出される。攫われたマリーン。 「隊長っ!!」 壇上からオルドスの悲痛なる叫びが聞こえる。 「おやおや、これはまた化かされましたね。」 壇上に戻るとダカンとルウェイが既に待機していた。この阿鼻叫喚の中緊張感の欠片も無く飄々と立つ様は既に驚愕を通り越して感嘆に値する。側ではルウェイがこんな時にまでラメアに熱いまなざしを送っているがあえて言及しない事にしよう。 「北門と東門から民を非難させる事を最優先しろ。スコーピオンがまだ紛れ込んでいる可能性もある。くれぐれも不審者は見逃さないように。」 ラメアの怯えきった声にその瞳を覗きこむようにして語りかけた。 「ラメア様、オルドスと共に非難して下さい。」 合図するようにオルドスに一瞥くれると、丁寧な動作で腹心の部下はラメアを連れて行った。その姿が消えてから、小さく溜息を吐く。 「では、行ってらっしゃい。」 その頼みの綱はたった今ダカンの優雅な台詞と共に、『殺れ』と命令された獣の如くスコーピオンの群に飛び込んで行った。まぁ、どう考えてもルウェイは前線型だから別に良いのだが。全く、リアサーラが珍獣コレクターなら、こいつは猛獣遣いだな。 「・・・師匠。」 土煙が晴れると、脇目も振らず敵の中に飛び込んだ男が戻ってきた。返り血と自らの血でさっそく全身血みどろである。普通ならば掠るだけでも死に至るスコーピオンの尾針だが、大して気にする様子も無くのっそりと立ちそびえるルウェイの体に、ダカンは服の中どこからともなく注射器を(本当に何処に隠し持っているのだろう)取り出すと、それをぶっすりとルウェイの体に突き刺した。地味に痛々しい光景だが、瞬時に効果の現れる解毒剤、神経促進剤、回復促進剤などを作り出せる『戦場の医師』。これがダカンの能力である。 「さぁ、もう大丈夫ですよ。二回戦行ってきて下さい。」 あくまでも魔術などではなく医療の範囲なので即座に傷が消える訳ではない。 「本当に効いているのかあれ。」 血だらけで怖いぞ。 「無論です、解毒しましたし、血は既に止まっている筈ですよ。」 そうこう言う内に、目の前でルウェイが斧でスコーピオンを一刀両断する。相変わらずとんでもない攻撃力だ。俺はその背後に迫る一匹の背に駆け上がり、甲冑の繋ぎ目に剣を付き立てた。のたうち回りながら滅茶苦茶に振り回される尾を掻い潜って着地すると、ダカンがつまらなそうに溜息を吐く。 「まったく貴方は。もっと豪快に負傷する事ができないんですか。腹が抉られるとか四肢吹っ飛ばされるとか。」 某ヘボ精霊娘も生きていそうだがそんな事を教えたりしたら間違いなく人体実験のモルモットにされそうなので言わないでおく。 「全く治療のしがいがありませんね。」 治療と称して殺すつもりかと喉を出掛かった台詞を飲み込む。 「隊長っ!!」 刹那、困窮しきったオルドスの声が壇上から聞こえた。 「しばらく頼む。」 その場をダカンとルウェイにまかせ、素早く踵を返す。民の非難は一見順調に行われていたように見えたのだが、何かあったのかもしれない。何しろリアサーラが居ない分センチュリオン一人分の力、イコール兵士百人に匹敵する人手が不足しているのだ。 「何があった。」 オルドスの横に立つラメアの姿に眉を顰めて尋ねる。 「それが、神官と一部の住民が神殿内に立て篭もりまして。」 予期せぬ内容に一層顔を顰める俺に、オルドスは言い辛そう言葉を濁す。熟練した補佐官としてらしくない態度であった。 「ロータスは聖地だから・・・彼らは皆ここを愛しているの、この都市を奪われてしまったらどこにも行く場所は無い。だから逃げる訳にはいかないのよ。」 代わりに口を開いたのは驚いた事にラメアであった。 「なるほど。」 信仰心深い神官らの考えそうな事だ。今頃は一身に祈りを捧げているに違いない。 「ラメア様、お願いがあります。神殿に行き、在留している民を説得して下さい。 ラメアが瞳を見開き、おれを凝視した。戸惑うように眉を顰めた後、悲しげに瞳を伏せる。 「それで・・・やはり貴方は逃げろと言うのね。あの者たちに、逃げて、逃げて。私たちは何処に行くの?イグニード様ならけして逃げたりはしなかった!私は・・・私はあの者たちに故郷を捨てろなんて言えない。神のふりをして無責任な信託を下す事なんて出来ないっ!!」 常に王女としての責務に反発してきたラメアからは、考えられないような台詞だった。 「・・・。」 呆けている場合ではないと何かが激しくかみ合っていない会話の中、頭で相応しい言葉を探す。 「都を捨てるのではありません。守る為に彼らにあそこにいてもらっては困るのです。」 はっとラメアが息を呑む。 「スコーピオンが狙うとしたら、まず神殿です。そこに民が集まっていれば、我々は迂闊に戦えません。人質を取られた場合最悪の状況になるのはお解かりでしょう。」 ラメアがようやく納得したように頷いた。そのままオルドスにラメアを神殿まで警護するよう合図する。一瞬共に行くべきか迷ったが、ルウェイ何時までも一人に戦わせる訳には行かない。これだけの数だ、追い返すには火矢を使う必用がある。神聖なる都を燃やしたとなれば神殿から苦情が殺到しそうだが、被害が最も少なく済む方法なのんだ。何しろ砂漠に覆われている大地では、火が燃え移る心配をする必要がない。民の退避が済んだら直ちに発動できるよう指示を伝えるべく駆け出そうとしたその刹那。 神殿が割れた。割れたと証するに相応しい程脆く、まるで玩具のように呆気なく粉砕されたのだ。人が皆唖然と瞠目する中、白濁とした水が天まで吹き上げられ砕け散った瓦礫と共に雨の如く降り注いだ。 「・・・喜劇は興じてもらえたか。」 絶望を与える演出を楽しむように、瓦礫と化した神殿の中から現れた男は、片腕に放心しているラメアを抱えたまま、その顔に愉悦の笑みを浮かべた。その髪が茶色から黒へ、瞳が灰から紅蓮の色に燃え上がる。 スコーピオンの棟梁。赤尾のスコーピオン『朧』。 「中に居た者たちはどうした。」 「今時汝らが神と崇拝する偶像を破壊する。武器は捨てなくても構わぬ。死力を尽くすが良い。」 ラメアの恐怖で引きつった悲鳴に、兵士らの間に動揺が広がった。もとより人質ではなく見せしめと言う訳だ。よって取り引きなど存在せず躊躇する時間も与えられない。どうする、この距離で朧の尾がその喉笛を引き裂くよりも速くラメアを助ける事は不可能だ。何か、一瞬でも良い、朧の気を逸らせる事ができれば。 「待って下さいっ!!」 虚空から声が聞こえたのはその刹那だった。
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