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『逃亡者』

まさかこの世界(ここ)でも、その名で呼ばれるとは。
これも、罰なのかもしれません。

ぎゅっと拳を握り締め、震えてしまう体に耐えながら私はスコーピオンの棟梁を見据えました。汝『も』と彼は言いました。と言う事は、彼もまた『逃亡者』という事になります。裏切り者であり、背徳者の称号。だとすれば虚無の空間から槍を取り出した『魔術』も、再生能力も説明がつきます。そして、私と同じ姿。今なら、説明がつく・・・彼はきっと。


「何の事だ?」

困惑したリトの声が耳に届いていながら、私は瞳を見る事ができずに聞こえない振りをしました。
例えどれ程罵倒されようと、これだけは、話す事はできないのです。

「難解な。逃亡者が何故再び人に党与する。」

無感情である筈のスコーピオンの声が軽蔑を含んだ様にすら聞こえました。
けれど、問いただされる疑問に、私は返事をする事ができません。人にくみしている訳ではないです。誰の味方とか、
敵とか。そんな境界線を考えるのが悲しくて『逃亡者』となったのに。私の、弱さ。咎の始まりを問われた所で
何と答えれば良いのでしょう。

「リト・・・・・。」

だけど、戦わなければならないなら、境界線のどちら側かに居なくてはならないなら、私はリトと一緒に居たいです。
そう答えたくて、答えても良いのか恐る恐る私はリトを見上げました。困惑し、意図を探ろうと見開かれる眼差し。
青々と深海に漂うような瞳の色。

うえーんっ、どうしましょう。大好きですーーーっ!!

「・・・・理解した。」

えっ!?はっ!?な、何がですかっ!?
思わず赤面して尋ね返してしまいそうになる私の前でスコーピオンの顔に変化が起きました。
白皙の皮膚が割れ、瞳、唇、鼻、耳・・・・体の至る部分が面妖に歪み、変形して・・・こ、怖っ!
はっきり言ってとても気持ち悪いです!!本体に戻る場合、一瞬で変化できる筈なのに、何で態と時間取るなんて
変な格好つけないで下さい!

「・・・・ならば、滅するか、抗う事だ。その姿、無力ではあるまい?」

ぎちぎちと、数百の燃え盛る灯火でねめつけながら、巨大な蠍となったスコーピオンの長は言い放ちました。
何時の間にか、生き残ったスコーピオンたちが蜜に群がる蟻の如く私とリトを取り囲んでいて。その数、二十数匹。

「転移魔法は?」

私を背後に押しやり、リトは訪ねました。

「・・・・・っ、駄目です。さっき、使い果たしてしまいました。」

気を集中させようと試みてから、私は頭を振ります。
この場に集まっていた人の数は多く、騎士も含め全員逃がす為に十回以上も転移魔法を使ってしまったのです。
もう魔力切れ、本体に戻る力すらありません。

「解った。」

こんな状況だと言うのに、リトは冷静に答えると、周囲を見渡しました。恐らく、リアサーラさんを探しているのでしょう。
だけれど、彼は町に散ったスコーピオンを追いかけて・・・。一匹のスコーピオンが尾を挙げた瞬間、リトは私を抱えて飛びました。捩れあがった尾がドリルの如く地に穴を開け、濛々と砂煙が舞い上がります。

「図体が邪魔だ。小さくなれ。」
「む、無理ですー。魔力もうありません。」

叫ぶと同時に再び黒い鉄柱が身を掠めました。
今動きを見せているのはたったの3匹。彼らは命令の元に動いているという訳ではなく、言わば獲物を弄る肉食獣のように、交互に怠慢な攻撃を繰り返してきます。
私を抱え、リトはひたすらそれを避けるだけ。幾ら殆ど重さの無い体とは言え、このままではいずれ体力が尽きるに違いありません。

ずきりと、また心臓に巻きついた鎖が引っ張られたようで、私は痛みに顔を顰めました。
誰かが、私の所為だと。私が、弱い所為だと叫んでいます。


ならば、私は、本当に弱くなりたかった。

 

『逃亡者』には嘘が付きまとうと、その格言は本当ですね。

「ごめんなさい、リト。」

人間一人ぐらいなら、なんとかなるかもしれません。私は呪文を唱えました。、瞬く間に、この世界には存在しない神域の呪文を描いた魔方陣が私たちの周囲に姿を現す。時空を超えて、飛んでいける。逃亡の術。
この魔法を覚えられた時、私はとてもとても嬉しかった。

「お前、何を!?」
「大丈夫ですよ〜。」

初めて出合った時と同じ様に、リトの姿が薄れて行きます。ああ、いけません。見ないようにしなくては。また翻弄されてしまうです。集中集中。

「行き先は、宿屋ですからね。」
「・・・っ!?待て!」

ようやく私の意図に気がついたのか、リトが手を伸ばしますがそれよりも速く距離をとり、私は呪文を完結させました。魔道の光が消え、その場から完全に『人』の存在が無くなる。

「うぇ・・・。」

や、やっぱり気持ち悪いです。魔力の使いすぎ。あ、頭が痛い。

「己が身を捧げたか。健気な事だ。」
「・・・・いいえ、巻き込まないようにこの場から消えてもらっただけです。」
「笑止。魔力も残っていないその身で何ができる。」

スコーピオンが怒気の燻る瞳で私を見下ろし、唇をゆがませました。確かに、魔力は残ってません。でも。

「そんなもの、要りません。」


「これは、『私』ですから。」


呪っても呪い切れない、私の運命。


「残念ながら、制御できないのです。」
「逃げるなら、今の内に逃げて下さいね。」

群がる巨大な蟲たちを見上げて宣く。これに蛇の姿で対抗したら見た目も凄惨な死闘となるのでしょうね。
振り下ろされる鉄柱をゆるやかに眺めながら、私は瞳を伏せました。

 

 

飛ばされた先は大変な事になっていた。
どうやら無謀にも全員同じ場所に転送したらしい。
小さな宿屋はその許容範囲を超えた人に今にも押しつぶされそうになっている。
俺の姿を確認した途端、民はおろか俺の部下でさえ、皆こぞってマリーンの正体を悪鬼迫る形相で問い詰めて来た。

「スコーピオンが何故人を助けるのです!?」
「あの力はなんですか!?」
「隊長、まさかあんな幼い子とっ・・ぐふっ!」

取り敢えず最後の愚か者だけは沈めておいて、俺は舌打ちした。あの馬鹿、魔力も残っていない状態で一人残るなど、正気沙汰とは思えない。自己犠牲のつもりか・・・ふざけるな。
人込みを押しやるように宿屋を飛び出し、俺は運良く繋げられていた馬に跨った。

『大丈夫ですよ〜。』

何を根拠にそんな事を言ったのかは解らないが、その笑みは虚勢でない事を物語っていた。
だがあの天然ボケヘボ精霊の事だ。何をやらかすのか、解ったもんじゃない。
それから、

『ごめんなさい、リト。』

あんな顔で謝られる理由が解らない。あいつの場合、何もかも解らない事だらけだが。
思考に耽っていた俺を引き戻したのは、馬が嘶きだった。障害物も無い場所にて、刹那体を跳ね上げ、俺を振り
落とそうとする。いかほど宥めようとも静まる様子はなく、鬣を振り乱す様は尋常でない恐怖を表している様だった。
手綱を引き千切らんばかりの勢いで来た道を駆け戻ろうとする馬から仕方なしに飛び降りて、俺は自らの足で進む。不可解な重圧を感じ始めたのは、まもなくの事だった。

息苦しい。耳鳴りがする。体に異変は無い筈なのに、手足が重くなり、目的があるにも係わらず進む意志が奪われていくような・・・。何が起こっているんだ?焦りを塗り替えて行く、倦怠感・・・虚無感。それらが混ざり合い現れる絶望の色合い。

惑溺させんばかりの勢いで嵩を増す負の感情に、己の喉を掻き切ってしまいたくなる。


――――今、何を考えていた?


何時の間にか、手には剣を握り締めていた。吐息は乱れ、汗が噴出している。
悪夢から目覚めたような感覚だった。疲れ、眠りに戻りたいと叫ぶ体に、危険を感知した脳が警戒を呼びかける。
俺は歯を食いしばり、振り上げた剣を手の甲に突き立てた。

「・・・っ!」

激痛が手先から迸り心臓を鷲掴みにする。骨は避けた筈だが痛い事には変わりない。・・・そういえば、腹を貫かれたわりには威勢が良かったがあいつも普通に痛みを感じるのだろうか。痛覚により少しは霧が晴れた頭を振って俺は立ち上がった。適当に血止めをして再び走り出す。先ほどまでの重苦しい空気は、徐々に晴れてきている。だが、本能は反して嫌な予感を感じていた。


目的地に近づくにつれ、漠然とした不快感は、瞭然な血の匂いに塗り替えられていった。
―――どんな戦場でも、之ほどまでの鮮血を見た事は無い。正に血の雨が降り注いだのではないかと戦慄する程に、辺り一面淀んだ紫色の液体に満たされていた。それも、陰湿な地底の臭気漂う、魔物の血で。
惨殺。
そんな語彙が脳裏を過り、だが俺は直に訂正した。動かない漆黒の甲冑は、全て己が尾によって殺められていたからである。体に無数の穴が開いている躯もあった。幾度、自分で自分の身を貫いたのだろう。魔物といえど憐憫せずにはいられない有様だった。

瓦礫の山と化した死骸の中、それを雲でも眺めるような眼差しで見上げる小さな体があった。黒に近い色となった泥濘の中、周囲の色に溶け込むようにぽつりと佇む少女の姿。

「マリーンっ!!」

名を呼ぶと、マリーンは怠慢な動きで首を傾けた。歩み寄った俺を、うつろな眼差し見つめた後、ゆっくりとうっすら赤くなっている頬に手を当てる。

「叩かれて、しまいました。」

藪から棒に何を。誰にだ。などと尋ねるより先に赤い双眸から光が失われる。眠りに落ちるように力を失い、崩れ落ちる身を不可抗力で抱き止め、 何故かその瞬間、相変わらず重みの無い体だとそんな暢気な事だけを思った。






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